- 透析JOURNAL
- interview
- 重い事実を直視する中から
- 患者はほとんど他の地域に移動しなかった
2.患者はほとんど他の地域に移動しなかった
- 櫻堂
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少し角度を変えてお聞きしますが、東日本大震災が発生した時点と、その直後では情報が断絶しました。通信がまったく駄目で、かろうじてメールが何とか使えるような状態で、患者さんの安否確認などは、おそらく病院でもできなかったと思うのです。非透析日の患者さんがどうなっているか、なかなかわからない。その全体像が把握できるまでに、どれくらいかかったのですか。
- 宮本
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わたしが4月5、6日に初めて被災地に入った段階で、医療機関では「患者さんの安否について正確にはつかめていない」とおっしやっていました。また先週(4月第4週)行った時点では、どれくらいの患者さんが移動したのか、大まかにはわかるけれども、誰々さんがどこに行ったという正確なところはいまだに掴めていない。親戚など個人的なつながりで動いた患者さんについてはほとんどつかめていない、と思います。
- 櫻堂
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患者さんも家族も生き延びるためには何でもするでしょうし、医療機関に報告してから移動するということもないでしょうから、もしかしたら、まったく知られずに亡くなっている患者さんもいるかもしれないですね。
- 宮本
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厳しい話ですが、あり得ると思います。
- 櫻堂
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誰がするかは別として、安否確認の仕組みをどうするかという課題が浮かび上がりますね。また、阪神・淡路大震災とは規模とレベルが違うので、既存の災害ネットワークがあまり機能しなかった。例えば、名古屋や大阪の医師会や行政が善意により何とか患者さんを助けようと、400名規模で患者さんを受け入れようとした。ところが現実には、患者さんは動かなかったという。これについては実際、どうなのですか。
- 宮本
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結果的に言うと、ほとんどの患者さんは被災地から動いていないです。16年前の阪神・淡路大震災の時、透析患者は、直接の災害死はなかったものの、避難所や復興住宅に身を寄せて非日常的な生活をせざるを得なかった。その年、兵庫県内の透析患者さんでは、通常の年と比べて3割くらい死亡者が増えているわけです。阪神・淡路の時、治療確保と心身の負担を軽減しようとした患者さんは、親戚・知人などを頼って被災地を出ています。
一方、今回の東日本大震災では、今の時点でほぼ通常の透析は確保できているとしても、避難所にいたり、どこか違う所に身を寄せているなど、生活は非日常です。これは、身体的にも精神的にも、かなりストレスがかかっているはずです。ですから、わたしは、被災地内の全腎協の会員さんに対しては「いろいろな事情があるでしょうが、まずは自分の身を守るために被災地外で透析を受けることを考えましょう」と話しています。しかし、お話のように、従来の、災害時の情報ネットワークを使って、全国で1万数千人規模の患者さんの受け入れ体制ができたわけですが、結果的には、ほとんどの患者さんが動かなかった。それはなぜなのかということを考えないといけない、と思うのです。
個人の生活感や感情、つながりをどうシステムに組み込むか
- 櫻堂
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その点は重要な課題だと思います。我々は、ともすると、患者さんを集団で考えようとするのですが、そうした見方だけではなかなかうまくいかないと思うのです。
- 宮本
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ご指摘のとおりだと思います。透析患者にとって、命を守ることイコール透析を確保することです。しかし、被災地内での透析が困難だから、とりあえず被災地外でこれだけの透析は用意したから、と言われても……。わたしも、現地で被害に遭った患者さん何人かと話しましたが、やはり、そこで生活しているわけです。地元への思い入れもある。被災地内であっても、地元だったらホッとしているのです。もちろん、今、暮らしてきた地域で透析ができているという安堵感もあります。これまで透析を受けてきた被災地内の医療機関に戻ってきて、やっと透析を受けることができたという安堵感のある患者さんの顔が、印象的でした。
- 櫻堂
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勝手にイメージしますと、東北地方は、農業・漁業など地域に根付いた暮らしをしている人たちの多いエリアで、かなり地元への思い入れがあるために、そうなっているのか。例えば東北とは違う地域で災害が起きても、あるいは阪神・淡路大震災でも、同じようなことなのか。この点については、どう思われますか。
- 宮本
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結構、我慢強い東北人気質があるのではないでしょうか。それともう一つ、避難所でも、患者さんは「自分は透析をしている」とは言わない、あるいは言えないということがあります。それはなぜなのか。確かに、今回の東日本大震災では、マスコミで透析がクローズアップされましたが、よくよく考えてみると、阪神・淡路の時だって透析がクローズアップされているのです。地震とか災害が起きるたびに、透析医療がこれだけ危機にあると、取り上げられています。でも、それが続かないし、浸透しない。そのため、患者さんは、なかなか、透析を受けていることを言えない。ですから、「自分は透析患者です」と普通に言える社会環境が必要だ、と思いましたね。
- 櫻堂
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それは、とても大事な点で、まさに患者個人のことを考えた発想だと思うのです。例えば、関係者が患者さんについて集団で捉えて、集団で移そうと思った時、患者さんたちみんなが「嫌だよ」と言い始めた。そして、おそらく血縁や地縁を頼ったりして、自分がホッとし、安心できる地域に移っている。
- 宮本
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そうなんです。阪神・淡路大震災の時、動いた患者さんは、親戚とか知人のところに逃れているのです。集団で透析を受けてもらうために、とにかくここに何百ベッド用意したから移動しなさい、というものではないのです。
- 櫻堂
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そうですね。阪神・淡路の時のことについて神戸の病院の先生から聞いたのですが、その病院のある地区は所得が比較的高い層の患者さんが多かったのですが、患者さんたちは海外に避難したり、北海道や九州の温泉地などに向かった。そして、残念ながら、あまり地元に戻ってこなかったので、経営的にはつらかったといいます。やはり、患者さんたちは、個人個人の生活を確保しながら移動している。かなりパーソナルな事情なのです。そこを考えないといけない。集団で何とかしようというのは、やはり違う気がします。
- 宮本
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過去の経験から、被災地内で無理して透析をすることはないということで、これまでのシステムやネットワークで1万人単位の受け入れ体制を作っていただいた。これは良いことだったのですが、これからはそこに個人の生活感、個人的な感情やつながりをプラスしていかないと、おそらく患者さんは動かないということなのでしょうね。ですから、今回は、透析の受け入れ体制を作ったけれども患者さんは動かず、ある種、大きなミスマッチが起きてしまいました。
16年前と比べて患者さんの平均年齢が10歳上昇
- 櫻堂
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今回について、もっと経営的な言葉で言えば、ワン・トゥ・ワン(One to One)の発想、つまり個人の生活感、地縁・血縁などに配慮しながらサポートする仕組みがないと、ストレスがたまっていって、患者さんの予後もきちっと確保できない事態になりかねない、と思いました。もう一つは、阪神・淡路大震災の教訓に基づいて作ったシステムは意味がないというわけではないのですが、それとは状況が大きく変わったので、おそらく、対応が十分にできなかった。また、もっと個人の患者に配慮したシステムという意味での深掘りが必要だった。ただし、それは、医師の団体がすることではないかもしれない。むしろ、それはこれから患者会がイニシアチブをとって、やってよいのではないか、と思います。
- 宮本
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それについてもう少し説明しますと、16年前の阪神・淡路大震災の時は、患者さんは結果的にはパーソナルな部分でしか動いてないのですが、集団で動こうと思えば動けたのです。その当時と比べると、今回は明らかに患者さんの層が変わっている。例えば、透析患者さんの平均年齢は10歳以上も上がっています。少し支援をしてもらえば後は自分で何とかできるという患者層では、ないですよ。今は、ちゃんとケアをしてあげないと患者さんは動けないのです。
- 櫻堂
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なるほど。今回の東日本大震災では、地域的な特性、エージングという2つのファクターで、ダイナミックな行動にはなかなか出られなかった、ということですね。そのような行動パターンは、超高齢社会の日本では、これからは当たり前になってくる気がします。その意味では、大きな変化です。でも、元気なお年寄りも増えているのではないですか。
- 宮本
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どうでしょうか。透析導入の患者さんの平均年齢は67歳くらいです。透析を前提にその後の人生を考えている人、受け入れられない人が混在していますね。