医療経営戦略研究所
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井関利明(千葉商科大学政策情報学部長) VS 桜堂渉(医療経営戦略研究所)

マーケティングの新しい考え方
時代はIT革命から顧客革命へ~求められる医師の意識改革~

「増収・増患」が透析医療機関の経営改善策と考えられた時代は、すでに終わりを告げている。医療費削減、透析施設数の増加とそれに伴う相対的な患者数の減少が避けられない現在、厳しい競争に勝ち残るには、進行する「顧客革命」に備えた対応が求められている。「医療における真のマーケティングとは」をテーマに、ソーシャル・マーケティングの第一人者である井関利明先生にお話を伺った。

櫻堂渉

【Index】

マーケティングの新しい考え方
時代はIT革命から顧客革命へ~求められる医師の意識改革~

1.マーケティングとは「いち(市)づくり」のこと

 いま自治体や非営利組織がマーケティングの考え方をどんどん取り入れ始めています。それをソーシャル・マーケティングと呼んでいますが、あい変わらずマーケティングを営業販売や広告宣伝と誤解している向きがあります。これは、マーケティングという言葉が普及した20世紀、つまり大量生産・大量消費の時代に生まれた誤解なのです。

 マーケティングをわかりやすく言えば「いち(市)づくり」のことです。「いち」とは昔から、町や村の人びとと外来者が、念に数回出会う特別な場と時でした。外来者は、町や村の人びとの要望をこと細かに書き込んだ一種のデータべースを持っていて、次にやって来るときは、人びとの要望の情報や品々を持ってきます。その意味でのマーケットは、第一義的には出会いの場であり、情報収集の場であり、未来の生活に欠かせない刺激を得る場でもありました。

 ところが、20世紀に入ると標準化された商品を大量生産・大量販売する仕組みができ上がり、企業は大量の規格生産品を抱えます。人びとを説得し、大量に販売するための「市場」が必要になりました。大量販売のための広告宣伝とマーケティングが同義と考えられるようになったのはこの頃からです。

 では、マーケティングの本来の姿とはどのようなものだったのでしょうか。 「供給側と需要側が相互に関わり合いながら、新しい価値を創りだす活動こそがマーケット本来の姿だ」と、私は考えています。エンターテインメントから医療まで、すべてのサービスがFace to Faceの関係でやりとりされたのがマーケットの原型だと考えられます。そこで、マーケティングを、「立場の異なる複数の当事者同士が相互に関わり合い、対話を通じて新しい価値を創りだし、共に目的を達成し、かつ満足を増進させていく、継続的でスパイラルなプロセスである」と定義し直しました。

 21世紀は、20世紀の誤解を正すことを通じて、マーケティングの元々の考え方を回復しなければなりません。つまり、与え手と受け手が相互に関わり合い、一緒になって価値を創りだす、そうした関係をどうしたらつくられるかを考えるのがマーケティングなのです。

2.医師は患者に「与える」のではなく
  「支援する」立場にある

 しかし、医療サービスの世界では、与え手と受け手が一緒になって価値を創りだす関係にはまだ至っていません。それは、医師の専門性が深く関わっているからかもしれません。医師は、もっぱら与える専門家であり続け、受け手である患者はゼロのままだと考えるからです。これを「ゼロ人間モデル」とか「欠如モデル」と呼びますが、受け手は何も知らないことを前提としています。いわゆる「情報の非対称性」と言われる問題で、患者が自分の力では得られないものを、上から一方的に与えるという意識です。

 新しいマーケティングでは、与え手と受け手が対話しながら共に価値を創りだし、良好な関係を醸しだします。私は、これを「関係づくりの社会的作法」と呼んでいます。いまは、患者もさまざまな情報を持っています。健康な身体をとり戻し、人生を立て直したい、良い人生を送りたいと願う患者に、医師は医療サービスを「与える」のではなく、回復を「支援する」立場にあることをもっと認識すべきでしょう。

 たとえば、学生はまったくの知識ゼロ人間ではありません。教師とは異なる知識をたくさん持っているかもしれません。

 教師は、専門的知識を豊富にもっていても、それ以外のことには無知です。つまり、分野の異なる者同士が、そして経験の中身が異なる者同士が、一緒になって未来を創るのが教育なのです。未来については、教える側も学ぶ側も共に無知なのですから、互いに関わり合いながら一緒になって未来を創りだす場にしようというわけです。

3.医師の仕事はエンパワーメント

 私は、医師の仕事はエンパワーメントだと考えています。エンパワーメントは、課題を抱えた人に、解決に必要な能力や情報や条件を与え、それによって自信を高め、活性化していくプロセスです。

 個人の能力や潜在的可能性を引き出し、発揮できる機会を与え、人を信頼し、能力を評価し、最前を引きだせる条件を整備するのです。治るのはあくまで患者であり、医師は患者の回復をサポートするのです。つまり、医師がなすべき仕事はエンパワーでなければなりません。

 医療は、患者がより良く生きるのをサポートするための手段だと考えれば、一番大事なことは、医師と患者の対話です。対話を通して、患者の命を活性化させるのがエンパワーメントです。医療ばかりでなく、教育も行政も、すべてエンパワーメントなのです。それなのに、20世紀の産業社会における分業と専門分化の原理によって、与え手が一方的に行動し、受け手がまったく受け身になる社会をつくってしまった。この社会のあり方が、いたるところで問われ始めたのが21世紀なのです。

 この20世紀から21世紀にかけての時代は、大きく3つのパラダイムに分けることができます。第1は、大量生産・大量販売・大量消費が成立した時代で、ビジネス・テーマは技術革新でした。技術革新を通じて新製品を次から次へと送りだしました。第2は、1980年代の半ばから90年代にかけてのIT革命の時代。ITを駆使することによって、企業は顧客と直接関われるようになり、顧客も自由にデータや情報を収集できるようになりました。これが、第3の顧客革命の時代を準備することになったのです。IT革命の時代に台頭した新しいメディアが力となって、情報革命をもたらしました。この情報革命によって、それまで一方的な受け手にとどまっていた需要サイドが強い発言力を持つようになり、21世紀の顧客革命を引き起こしたのです。

 顧客革命には、4つの原理があります。第1は、顧客によるビジネスの変革。学生が大学を、住民が行政を、患者が医療サービスを変容させるのです。第2は、顧客は企業の資産であり、単なるビジネスの対象ではないこと。第3は、顧客との関係づくりが決め手となり、顧客関係づくりが企業価値を左右します。

 そして最も重要なのが、第4の顧客経験の重要性です。経験とは、食べておいしかった、おもしろかったなどの体験を、人生にとって意味あるものとして言葉で語られたものです。つまり、製品やサービスを通じて企業と関わり合うときの顧客感情が、顧客ロイヤリティを決定するということです。医療機器が進歩し、画期的な新薬が開発されたとしても、患者に良い経験を提供できなければ評価はされないということです。

4.医師はもっと患者の望む人生に関わるべき

 医療サービスは、基本的にワン・ツー・ワン(One to One)対応です。個々の患者の違いを考えながら、どんな形の体験を与えれば、回復への意欲が高まるかといった視点から医療サービスを行えば、両者が関わり合いながら共に満足を高めていく真のマーケティングが可能になります。患者は、医師との対話を通じて心身の健康を取り戻し、良い状態でまた生活を続けることができます。医師も、患者と関わることによって得られる満足感と、長い時間をかけて修練した技能・技法・知識が役立つことによって存在意義を確認し、気がつくと収入も伴っている。これが、本当の関係づくりのマーケティング(Relationship Marketing)なのです。

 伝染病やウィルスによる感染症のような一過性の疾病は、原因と結果が1対1で対応していますから、原因をなくせば治ります。これは、20世紀のマス・マーケティングの手法と同じです。しかし医療は、そうした方法では治らない病気を21世紀に残しました。それが、生活習慣病やガンなのです。これらの疾病は、さまざまな要因が絡み合ってある結果をもたらしますから、同じ要因でも3人いれば3様の形で現れたりします。こうした場合は、医師と患者の関係づくりが有効となります。

 慢性疾患を抱える患者が求めているのは、病気という人生の難題を解決するだけではなく、より良い人生を送るために必要な課題解決への支援です。その意味で、患者の求める価値は、供給サイドである医師との関係づくりの中で形成され、増殖していく信頼であり、それによってより良い人生が送れるのです。

 医師は、専門家として患者が望む人生にいかに関わり、協力できるかを、しっかり考え直すべき時期だと思います。マーケティングの中心は、すでに供給サイドのイノベーションから需要サイドのイノベーションへと移っています。

5.理解すべきは患者の生活文脈

 たとえば、腰痛には神経や骨が原因のもの、ストレスや神経からくるもの、内臓疾患からくるものなどさまざまあります。腰痛に関する情報は、今日ではインターネットからいくらでも手に入ります。そのため、医師は必ずしも専門家である必要はないとさえ考えているのです。腰痛の状態に関する専門家はむしろ患者だからです。それよりも医師は、患者がどういう生活をし、どういうときに腰痛を感じるのかを理解しなければなりません。腰痛は、必ずしも専門書に出ているように起こるわけではありませんし、専門書に出ている治療法で治るとも言い切れません。なぜなら、腰痛は、個々の患者の生活文脈の中から生まれるからです。一番大事なのは、患者の生活文脈をどれだけ理解できるかなのですが、残念ながら、医師はあまりよく知りません。比較的知っているのは、むしろ看護師の方ではないでしょうか。

 強い企業は、顧客をよく知っていると言われます。自社製品が顧客の生活の中でどのように使われ、どのような他の商品やサービスと組み合わされて、生活場面をつくっているかを知っているということです。看護師は患者に一番近いところにいるので、患者の欲求、期待、願望を知る機会に恵まれています。医師が専門的な技術と知識の供給者であるとすれば、それにお墨付きを与え、患者の特殊性と折り合いをつけるのは看護師なのかもしれません。現に、看護師が医師と患者の間に入ってマーケティングを行っている病院があります。

 しかし一方で、医師と患者の対話は重要だが、現在の低医療費では難しいという声もあるようです。当然、手厚いサービスをする医療機関はコストも高く、医療費も高くなるでしょう。現状では、健康保険法の規制から、それをストレートに患者に負担させるのは難しいのも事実です。しかし、たとえ高額でも良質な医療サービスを受けたいという患者は少なくありません。高級専門店とスーパーマーケットの関係と同じで、医療サービスの差をはっきりと価格の差として表わすことも必要かもしれません。いわゆる医療の二極化です。私も、長く生き長らえることよりも、しかるべき時期に良い医師とめぐり合い、充実した最期を迎えることができるのなら、ある程度の費用負担はやむを得ないと考えています。

 最後になりますが、いま教育の世界では、教師が変わることで革命が起きつつあります。医療界においては、医師が最初に変わるのは難しいかもしれません。しかし、まず事務系が変わり、つぎに看護師が変われば、医師も変わらざるを得ないでしょう。そして、医師が変わったときに初めて医療が変わった、と言えるようになるのではないでしょうか。本当の意味での関係づくりのマーケティングが確立されるのはそのときだと思います。

(中外製薬株式会社「透析と経営」No.15)

井関利明氏 プロフィール

井関利明

昭和34年慶應義塾大学経済学部卒業、社会学博士。
昭和39年から米国イリノイ大学産業・労働関係研究所に留学し消費者行動、行動科学、産業関係論を研究。昭和46年慶應義塾大学文学部社会学教授、平成2年総合政策学部教授を経て、同7年総合政策学部長に就任、平成12年より千葉商科大学政策情報学部長。 「生活起点発想とマーケティング革新」(国元書房)、「ソーシャル・マネジメントの時代」(第一法規)など著書多数。

インタビュー一覧

フランクリン・コヴィー・ジャパン株式会社 取締役副社長 竹村 富士徳氏

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サントリーサンゴリアス監督 前早稲田大学ラグビー蹴球部監督 清宮 克幸氏

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千葉商科大学政策情報学部長 井関 利明氏

千葉商科大学政策情報学部長
井関 利明
Toshiaki Izeki

日本大学大学院グローバル・ビジネス研究科 平田 光子氏

日本大学大学院グローバル・ビジネス研究科
助教授/経営学博士
平田 光子
Mitsuko Hirata